立山の思い出 弥陀ヶ原

弥陀ヶ原は、古い地図では阿弥陀原と書かれているものもあるようです。立山火山火砕流でできた台地に生まれた高層湿原で、険しい周囲の山々と比べると穏やかで広々とした、風の良く渡る気持ちのいい場所なので、阿弥陀様がおられるとでも解釈していたのでしょうか。実際、高山植物の宝庫ですし、岩肌が目立つ立山の中でも緑に覆われ、気持ちが落ち着く場所の一つです。
高層湿原というのは、普通の湿原と違い、はっきりとした水源を持ちません。基本的に雨水や雪解け水だけで植物が生育しています。
高山植物はとても激しい自然環境に生息しているため、栄養と温度が不足するため、下界のように腐葉土になるなどの分解が起こりにくく、泥炭と呼ばれる黒い炭のような土として積み重なっていきます。その作用も、1年で0.1ミリメートルとも言われ、その厚みから弥陀ヶ原が1万年単位の時間を生きていることがわかるそうです。
この泥炭層が盛り上がって、周囲よりも全体に高くなったのが、高層湿原で、ガキの田と呼ばれる池塘(ちとう)が地形的な特徴として現れます。

こういう池です。水源があるわけではなく、雨水や雪解け水を貯めています。この周囲に豊かな生物相が現れ、植物ばかりでなく、サンショウウオやトンボの幼虫なども見かけられます。

ルリボシヤンマに会えることもあるんですが、これはアカネの仲間のようです。ほかにも、ヒョウモンチョウが飛んでいましたし、ヒカゲなどの高山性のチョウもいましたね。
弥陀ヶ原はその自然環境を保全するために、すべて木道が敷設されています。木道以外は立ち入ることができません。高原のように広がっている弥陀ヶ原ですが、雨になると一面が川の中のようになるため、少しでも低いところは激しく水にえぐられていきます。登山道はまさにそういう場所で、どんどん広がって、自然を破壊していくのです。それを守り、何とか自然のふところに入らせてもらうために、木道を作り、一部では植生の復元も行っています。しかし、泥炭層がなくなるとどうも復元は無理のようですね。
木道を歩いて、池塘高山植物をめぐり、少し早いのですが、お弁当にしました。広い場所がないので、木道の上で、あたりに食物をこぼさないように注意します。そういうものが大きな影響を与えるのだそうです。
おかしの袋がふくれています。気圧がずいぶん変化している様子がわかります。

食事を摂ると、少し重かったからだがいくぶん楽になってきました。何人かの子どもはしきりにあくびをしています。類高山病の兆候のひとつですね。症状がひどくならなくても、多くの人に影響があるということで、これからしばらく順応のための活動を進めていきます。
弥陀ヶ原は、少し花が終わったところですね。

花の終わったチングルマです。これ草ではなく、木なんだそうです。1センチメートルの太さになるのに10年はかかるということです。花が終わったあとのこの様子がチゴグルマに似ているというので、名前になったそうです。

これは、ミヤマニガナだと思います。田んぼに咲いているニガナの高山種ですね。こういうのはたくさんあります。ミヤマタンポポミヤマキンポウゲミヤマアキノキリンソウなど、ミヤマとか、ハクサンなどとついているものの多くは、下界でも見かけられるものの近縁種です。
ところが最近では、登山者や車といっしょに下界の植物の種が入り込み、以前は繁殖することもできなかったのですが、環境に適応する種類もあって、一部がはびこり、元々の環境に影響を与えつつあるそうで、そうしたものの駆除も行われているそうです。弥陀ヶ原でも一部で、シロツメクサが生えている場所があります。今回も、子どもたちと見かけて、ミヤマシロツメクサなどと笑っていましたが、深刻な環境被害の一つだそうです。

ニッコウキスゲと並んで、弥陀ヶ原の代表的な植物、ワタスゲです。スゲは、菅笠のスゲですね。先端にワタのような白い花を咲かせるので、ワタスゲと呼ばれています。黄色と並んで白も高山植物にはよく目立つ色です。近くにあったイワイチョウタテヤマリンドウなども印象的な白い花をもっています。
少し視界が開けてきました。山頂部は見えませんが、大日平がはっきりと見えています。「鍬崎山が見えていれば晴れ」という地域の伝説にある鍬崎山はすっかり雲に隠れてきました。天気が悪化しそうな気配です。
宿舎に戻り、いよいよ室堂に向かいます。のぼり返しは案外急傾斜で、ちょっとしんどい感じが残っています。これが、2000m級の場所と言うことです。

「え、まだ11時30分!」
山の時間はゆったりと確実に流れます。体内時計が山の時間を刻み始めています。