立山の思い出 もうひとつの立山 立山カルデラ

弥陀ヶ原まで下りてきました。立山荘でライブカメラを確認しました。立山カルデラ展望台には、ライブカメラが設置されていて、インターネット経由で画像を確認できます。
立山カルデラライブカメラ
立山カルデラの内部は崩壊地なので、防災上の目的で設置されているようですね。
けっこう見渡せます。それで、展望台まで行ってみることにしました。
立山カルデラは、もうひとつの立山と呼ばれています。立山黒部アルペンルートの南西に広がる巨大なくぼ地です。ここには、4万年くらい前に立山火山という大きな山があって、激しく噴火を繰り返していました。その噴出物が、今の弥陀ヶ原です。火山の名残は、立山カルデラ内部の温泉や地獄谷に見られますね。噴出物をはき出してしまうと今度は内部がすかすかになって崩壊し始めました。それが、カルデラです。カルデラは、ポルトガル語スペイン語で鍋のことです。
江戸時代の大地震で、カルデラの外輪山の鳶山が崩れ、大量の土砂がカルデラ内部に堆積し、その後土石流になって富山平野に流れ出したのは有名な出来事です。そのときの堆積物は今も大量に残されていて、それを食い止めるために延々と砂防工事が行われています。
また、以前、立山の登山ルートは、カルデラ内にもあって、立山温泉から弥陀ヶ原に抜ける松尾峠のルートは、多くの人が利用していました。「剱岳 点の記」にも、測量技師柴崎芳太郎が宿泊している場面がでてきます。日本山岳会の会長であった槇有恒が板倉勝宣らと山スキーに訪れ、板倉氏が亡くなったのは、この松尾峠付近です。
登山道は石畳で、登山靴では歩きにくいのですが、一般の方が歩きやすいようにとよく整備されています。しめっぽい道を20分ほど歩くと、急に視界が開けます。

写真ではスケールがよくわかりませんね。カルデラ内部で工事している重機がアリよりも小さく見えます。向こう側は、薬師岳です。カルデラの方は切り立っているのに、反対側はなだらかな非対称になっているのがこのあたりの山の特徴です。ここに大きな火山があったというのは、自然の大きな動きに驚かされます。

こちらの方向が、ザラ峠です。佐々成政の「ざらざら越え」の伝説のルートはここだと言われていますが、ここを厳冬期に乗り越え長野まで抜けたとしたらそれも伝説になりそうです。雲がかかっていますね。その下は眺望が開けています。所々に湯煙も上がっています。現在、立山温泉はなくなっているのですが、お湯はそのままだと聞きます。
こういう知識がなくっても、山の凄みが伝わる場所です。近所に、まだ温かいクマの糞もありました。山の凄みのひとつです。
今日のトレッキングの目的地はこれが最後です。天望立山荘に戻ります。下りは足場もいいのでけっこう速度を上げていきます。みんな、山の時間に慣れてきたようです。